芳野病院
年次有給休暇取得とキャリアアップの両輪を回す
北九州の玄関であるJR小倉駅(北九州市小倉北区)からバスに乗り、海沿いを眺めながらしばらく走ると、医療法人寿芳会「芳野病院」(同市若松区)が見えてくる。院内のいたるところに近隣住民が描いた絵が飾られるなど、地域住民との深い交流を大切にする同院の理念は「医療介護を通じて地域社会に貢献します」。大正の時代から地域医療に貢献しながら医療の担い手を育ててきた歴史は、令和の時代になっても続いている。(令和4年度掲載)
企業データ
院長 |
芳野元
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所在地 |
北九州市若松区
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職員数 |
296名=男性94名、女性202名(2022年9月現在)
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開業 |
1913年11月
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事業内容 |
内科、循環器科、外科、消化器科、整形外科、脳神経外科、透析センター、リハビリテーションセンター
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経営者略歴 |
芳野元(よしの・はじめ)
久留米大学医学部卒業後、産業医科大学病院第一外科で研修。地元や東京での勤務などを経て1985年から2年間、ニューヨーク州立大学バッファロー校に留学。1990年に芳野病院副院長に就任し、1997年から3代目院長。福岡県医療勤務環境改善支援センター委員。 |
働き方・休み方改善のポイント
- 現場の声を反映したトップダウン式の改革
- 現場で働く職員に対し、働き方について都度アンケートを実施。結果をもとに、所定休日と年次有給休暇(以下「年休」という)を組み合わせることで1週間休暇がとれる「1週間の連続休暇取得奨励制度」を始めとした制度を、スピード感を持って次々と作っていった。
- 職員同士のコミュニケーション
- 働きやすい職場作りには職員同士の交流が欠かせない。職員同士で職場環境について話し合う機会を作ることで、職員自らが解決策を考えるようになった。
- 管理職への注意喚起
- 年休取得5日未満(義務化されている取得日数)になりそうな職員がいる部署の管理職に、付与月から半年経過後に注意喚起を行い、上司から部下への年休取得促進を促している。
- キャリアアップ支援による生産性向上
- 年休取得のしやすい職場環境を作るために、キャリアアップ支援の取り組みを開始。業務効率が改善し、職員一人ひとりの業務負担が減った結果、休みやすい環境をつくることができた。
いち早く改革を断行
開業は1913(大正2)年。大正から令和へと時代が進む過程で、少しずつ規模を拡大させてきた(2022年8月時点で143床)。現在は一般外来や専門外来のほか、大学病院等の急性期の大病院から患者を受け入れ、1日も早く自宅へ帰れるようリハビリを中心とした亜急性期の患者サポートに力を入れている。
手厚いのは、患者の支援だけではない。2012年に九州の企業としては初の「ワーク・ライフ・バランス大賞優秀賞」を受賞。2015年に「イクボスアワード2015グランプリ」や、全国の病院で初めて「キャリア支援企業表彰2015 厚生労働大臣表彰」を受賞したほか、同年に厚労省の「プラチナくるみん」認定を受けるなど、数々の働き方改革に関する賞や認定を受けている。理事長兼3代目院長の芳野元(はじめ)院長は、「今ではどこでも当たり前のように取り組んでいる施策が多いが、私たちはいち早く取り組み始め、それが十分活用されている」と説明する。
改革は2003年、管理職以外の現場の職員で構成される「職場環境改善提案会議」が発足したことから始まった。ある女性職員が「出産後も働き続けたい」と声を上げたことが会議発足のきっかけだった。
芳野院長自身、1985年に2年間米国に留学した経験から、働き方改革の必要性を以前から感じていたという。「留学時代、担当教授がいつも午後4時に帰宅していた。理由を尋ねると、『保育所に子どもを迎えに行く』という。大きな驚きがあった」と振り返る。さらに、米国では残業に対して「仕事の処理能力がないので残っている」という評価になることも知った。「20年後、必ず日本でもこうなる」。芳野院長の予想通り、改革の機会が訪れた。
子育て世代の支援を充実
会議で出た声をもとに最初に取り組んだのは、育児休業取得の奨励だ。2004年に福岡県の「子育て応援宣言企業」に登録し、病院として子育て支援に力を入れる姿勢を示した。結果、その年の女性職員の育児休業取得率は100%となり、現在までほぼ100%を維持するなど大きな効果を挙げることができた。また、男性職員の育児休暇取得率は2020年度75%、2021年度62.5%と高い水準だ(厚労省の2021年度の「雇用均等基本調査」によると、男性の育休取得率は13.97%)。
続けて職員へのアンケート調査をもとに導入したのが、常勤短時間勤務制度だ。対象は小学2年生未満の子どもを持つ職員で、通常は8時間勤務のところを7時間勤務とすることができる。30分単位で調整でき、例えば30分遅く出勤し、30分早く退勤するといった形も可能だ。制度の特徴としては、いつでも通常勤務と時短勤務に切り替えることが可能だという点にある。「子どもが夏休みの間だけ時短」といった利用もできる。今では全職員の約15%、看護部の職員では約20%が同制度を利用している。多様な働き方が可能となったことで、今では57種類の勤務シフトがあるという。
2003年に入職し、現在は現場のマネジメント業務を担当している3B病棟科長の原田梨恵さんは、職場環境改善提案会議の参加メンバーの一人だった。入職した直後、どんどん変わっていく職場に「こんな考え方もあるのだな」と驚いたという。当時、仕事と生活のバランスを取るという考え方があまりなかったという原田さんだが、出産時には同院の病棟看護師として初めて短時間勤務制度を利用し、「周りの方の協力がありがたかった」と話す。その後、原田さん自身が同制度を利用する後輩職員の良いロールモデルとなっている。
不満を解消するコミュニケーションとトップの決断
しかし、急激な変化の中で歪みも生まれた。子育て世代以外の職員から不満の声が出始めたのだ。そこで、再度アンケート調査を実施。「連続で休暇が取りにくい」という不満が一番多いことが分かった。
そこで、「1週間の連続休暇取得奨励制度」(リフレッシュ休暇)を導入。所定休日と年休を組み合わせることで1週間休暇を取れるようにした。当初は幹部層から反対があったという同制度。しかし、「例えば突然の事故などで職員が1週間勤務できなくなってしまったとしても、何とかできるだろう」という芳野院長の一声で導入を断行した。結果、年休を取得する機運も高まり、2020年度の84%をはじめ2019~2021年度の年休取得率は70~80%台で推移している。
職員同士もコミュニケーションを重ねた。原田さんは自部署で常勤者と短時間勤務者で別々にアンケートを取って、お互いの不満を探った。そして職員を集め、「時短勤務の職員も当たり前のように帰っているわけではない」と呼びかけたという。「職員全員が気持ちよく働けるように、どうしたら残業をなくしていけるか話し合った」と振り返る。話し合いでは、「私は水曜日に夫がいるので短時間勤務を取らなくていいです」「月に2回親に頼んで夜勤します」など、各職員が自主的に歩み寄ったという。「地道なコミュニケーションがやはり大切。そうすると、お互い様の精神が生まれ、職員自ら解決策を考えるようになる」という原田さんの言葉にもあるように、働きやすい職場作りには職員同士の交流が欠かせないだろう。「もちろん私も時短勤務や年休を取りにくい雰囲気を作らない様に気を付けている」と話す。
また、「子育て世代はどうしても急に年休を取ることが多くなり、年間取得が増える傾向にある」とし、年休に関しては子育てしていない職員に優先して取得してもらうよう勤務シフトを工夫しているという。「世代間で不公平感を生まないように注意している」と解説した。
「現場からの声を受けて、トップが決断して即実行する。これが中小企業の利点ではないか」と芳野院長は強調する。現場から声が上がったら、1週間後には制度として反映するという意識でスピード感にこだわってきたという。早くから取り組みを始めた結果、今では制度を利用してきた職員が管理職に就き、年休取得は当たり前のものとなっている。
事務部総務課の矢部亮子さんは「上司が積極的に取っており、年休を使うという雰囲気は当たり前のものとなっている」と説明する。人事労務担当として、年休取得5日未満(義務化されている取得日数)になりそうな職員がいる部署の管理職には、付与月から半年経過後に注意喚起をするようにしている。矢部さん自身も1週間の休暇を利用し、コロナ禍以前は海外旅行に出かけていたと話す。
働きやすさに必須なキャリアアップ支援
「働き方改革を実現するためには、生産性を向上させるしかない」。芳野院長はそう力を込める。個々人のスキルが向上することで、全体の業務効率が改善する。結果、労働時間の問題が解決するというわけだ。
同院では、キャリア教育について年代ではなく、個々人の技量に合わせて進めている。各職員は目標と具体的な行動計画が記された「個人目標シート」をもとに定期的に上司と面談し、自身のキャリアプランを明確にしている。また、積極的に院内外の研修も実施。社外研修については勤務扱いとし、参加費と交通費は全て同院の負担だ(延べ500人の職員が研修に参加していた年もあったが、現在はコロナ禍によりオンライン以外の研修については中断)。
職員のキャリアアップへの意識も高い。矢部さんは直近で、高度な労働環境管理者として認定される第一種衛生管理者の国家資格を取得した。原田さんも部下との面談で「成長のための動機づけを行うことを意識している」と話す。芳野院長は「仕事と私生活の両立支援ばかり充実して、現状に満足して安住したがる、いわゆる『ぶら下がり社員』がいる状況は好ましくない。また、出産後職場復帰した職員がキャリアアップを図れない環境も作りたくない」とキャリアアップ支援への思いを語る。「キャリア形成支援、そして仕事と私生活の両立支援のバランスが取れてこそ、本物の働き方改革だ」と強調する。
従業員満足度あってこその顧客満足度
芳野院長の根本となっている考え方は「従業員満足度あってこその顧客満足度」だ。職員がスキルアップを果たし生き生きと働くことで、質の高い医療を提供でき、「顧客満足度」が向上する。すると患者さんから選ばれ経営が安定し、さらに職員の労働環境を改善できる。このようなサイクルを回すことが重要だと主張する。同院の看護職員の離職率は9.17%(2021年度)と、同規模の病院の看護職(既卒)の平均離職率17.8%と比べても低い(日本看護協会の同年調査より)。
芳野院長は「あまりワーク・ライフ・バランスという言葉は使いたくない。どうしても仕事を減らすという方向に向かってしまう。そうではなく多様な働き方、キャリアアップを含めた『ワーク・ライフ・マネジメント』が重要だ」と話した。時代を超えて人を生かし続ける同院。これからも、地域医療の担い手として職員と共に成長していく。